マウイ災害派遣報告

 当協会では、以前から多くの会員が震災のたびにボランティア活動をしています。今年は年明け早々心の痛む震災に見舞われ、会員の関心も高いものと思います。

 2023年8月ハワイ マウイ島山火事において、梶明子会員(米国サンフランシスコ在住)からボランティア活動報告をいただきました。今回の活動はダンスセラピーではありませんが、参考になることと思います。

マウイ災害派遣

梶 明子

8月23日から15日間の予定で、アメリカ赤十字社のメンタルヘルスチームのメンバーとして、マウイの大規模火災の支援に入りました。そのご報告をさせていただきます。

アメリカ赤十字社の災害時メンタルヘルスチームについて

アメリカ赤十字社はさまざまな災害支援をおこなっています。すべてのボランティアは地域の赤十字社のボランティアになっていて、私の場合はサンフランシスコのボランティアになっています。他の仕事は特に運転免許以外の資格を持っている必要はありませんが、医療とメンタルヘルスのボランティアは、医師、看護師、サイコロジストなど、州の発行している免許を持っている必要があります。赤十字社は基本的に消防や警察からの依頼があった場合に活動します。サンフランシスコでの主な活動は、家の火災、山火事、洪水、発砲事件、空港での災害時の対応などがあります。メンタルヘルスのサポートが必要な場面で、現場に行ったり電話で対応したりして、クライアントとスタッフをサポートします。赤十字社が避難場所のシェルターを提供する場合には、そこに入って、クライアントとスタッフのサポートをします。大規模火災や発砲事件などでは、地元の政府や警察、消防などと提携して、メンタルヘルスの専門家が必要な場所で働きます。赤十字社の派遣はローカル、リージョナル、ナショナルに分かれていて、基本的には地元のボランティアが対応にあたります。それで間に合わないような大規模な災害の場合、順次エリアを広げてボランティアの募集がかかります。今回のマウイの災害は大規模だったため、アメリカ全土からボランティアが集められました。

マウイでの仕事

赤十字の派遣が決まると、24時間以内に出発をします。航空運賃や現地でかかる費用は赤十字が出してくれますが、航空機は特定の旅行代理店で、自分で手配します。現地に着くと本部に向かいます。今回は、クイーンカアフマヌショッピングセンターの一室が、本部になっていました。初日は移動日なので、宿泊先に荷物を置いて、早い時間の到着であれば、その後働くかどうか決められます。災害時で状況が刻一刻と変わること、またチームのメンバーも常に入れ替わっていくことなどで、情報が入っていないことも多々あります。今回私が本部に行った時も、メンタルヘルスチームのリーダーは私が行くことを知らされていませんでした。そんな状況であっても、臨機応変に動けることが求められます。すべてのチームにはリーダーがいてその下にスーパーバイザー、そしてチームメンバーがいます。スーパーバイザーのスーパーバイズの仕方にもよりますが、基本的には、すべてのチームメンバーは州の免許を持ったメンタルヘルスのプロなので、特に問題がない場合には自立して活動しています。チームメンバーは何かわからないこと、困ったことがあればスーパーバイザーに相談ができます。

私が本部にいる間に帰ってきたチームのメンバーが、私のスタッフシェルターが決まるまで、災害現場連れて行ってくれることになりました。今回は被害が大きく、被災者が多かったため、宿泊先の確保が難しかったようです。これは特にコロナ以降の態勢なのですが、被災者はできるだけ、大きな公共施設を使ったシェルターではなく、ホテルに入ってもらえるように手配するようになっています。ラハイナの被害は大きかったので、最初の数日は公共施設を使った大規模シェルターに入ってもらい、その後は、カアナパリエリアのホテルをメインに、カフルイやワイレアのリゾートホテルをいくつも借り上げて、被災者に提供しました。ホテルは被災者で埋まっていたので、私たちスタッフはキヘイにある公園の中の体育館にエアマットレスを敷いて、100人くらいで泊まっていました。日本のようにプライベート空間を作れるような設備はないので、ほぼだだっ広い野外で寝ているような状態でしたが、とても疲れていたためか、問題なく眠れたのが不思議です。

本部からの道のりは、ラハイナに近づくまで、今までと変わらない様子でしたが、近くなってきたところにたくさんの十字架が道から見えるように立っているところがあって、ああ、被災地に近づいたのだなと思いました。ラハイナの町に入る道は、すべて軍隊によって閉鎖されていて、私が派遣された時は、まだ住人も家に戻ることが許されていませんでした。ハイアットホテルに赤十字や国土安全省の大規模災害対応チーム(F E M A)、その他の支援団体の案内所と家族支援センターが設けられていて、まずそこに立ち寄りました。ハイアットには大勢の被災者も宿泊していました。支援センターは混み合って、立て込んでいましたが、災害から二週間経っていたせいか、想像していたよりも落ち着いていた印象を受けました。その後カアナパリの被災者が泊まっているホテルをいくつか回り、スタッフシェルターに送ってもらいました。

泊まっていたキヘイから、本部や、被災者のいるカアナパリなどに行くには一時間くらいのドライブになるので、12時間勤務の前後の移動は大変でした。シフトは12時間勤務で、7日間働いて1日の休日という、かなり厳しいシフトです。ただ、派遣される前に現地の状況や勤務態勢、必要な能力や健康状態などは知らされているので、それでも働けるという人だけが派遣されます。医療とメンタルヘルスチームの派遣期間は移動日も含め15日からですが、他のチームは3週間からのようです。

翌日からのルーティーンは朝のチームミーティングの後、それぞれが配属されている場所に移動となります。ミーティングではスタッフの入れ替わりの紹介と情報交換が主な議題でした。私の担当は、初日は、前日に現場に連れて行ってくれたメンバーと二人で、一つの被災者が泊まっているホテルの担当になりました。翌日は私一人でそのホテルを担当、3日目は2つのホテルを担当、4日目は4つのホテルを担当と、人手不足のため、どんどん担当するホテルが増えていき、最後にはカアナパリのホテルで、支援センターなどになっている特定のホテルを除く、すべてのホテルの担当になりました。

災害時のメンタルヘルスチームの仕事は、通常仕事で行なっているセラピーとは違います。災害時の派遣の場合、治療的なセラピーをすることはありません。サイコロジカルファーストエイドをメインに、被災者やスタッフの話を聞いたり、地元の長期のセラピーができる専門家に繋ぐ必要があるかどうか、医療チームに繋いで必要な薬やメガネ、車椅子などを手に入れる必要があるか、ソーシャルワークや地域のサポートに繋ぐ必要があるかなどを判断し、必要なことを提供できるチームに繋いでいくことがメインの仕事になります。地元の自治体や医療機関の他に、F E M Aや他の災害時派遣のチームなど、外部団体に繋ぐこともあります。また、気持ちが昂っている人を落ち着かせたり、周りに不安を与えないようにしたり、パニック状態になってしまったりする人がいないように援助するのもメンタルヘルスチームの仕事です。スタッフのメンタルヘルスの状況を見るのも私たちの仕事なので、頑張りすぎていないか、他のスタッフとうまくやれているか、被災者の話を聞いいたり状況を見たりして、セカンドハンドトラウマになっていないかなど、スタッフの精神状態を判断して、本人やスーパーバイザー、シェルターマネージャーと話したりします。

大規模シェルターでは、あえてメンタルヘルスチームのメンバーであることは言わず、他のスタッフに混ざって、食事や物品を配ったり、質問に答えたり、必要なものを調達したりする中で、全体の様子を観察することが多いです。被災者と一緒に食事をしたり、テレビを見たり、子供と遊んだりと、できるだけ被災者に寄り添って、距離を縮めて、話しやすい関係を築くように努力します。今回はホテルだったので、大規模シェルターのように被災者の生活の中に溶けこむのは難しかったので、シェルターのスタッフに混ざって、食事をとりに来る方々と話したり、ロビーに降りてくる被災者と話したりしていました。スタッフが気になる被災者を見つけて、メンタルヘルスチームのメンバーに繋いでくれることも多かったので、その際はメンタルヘルスチームメンバーだと名乗って、時間をとって、電話や対面でお話をしました。

政府が赤十字を通して、被災者に支援金を配ることになり、派遣の後半は、その現場の担当になりました。被災者とお話しする機会も増え、面接ができるだけスムーズに進むよう、面接官と被災者ができるだけ快適に過ごせるよう、食べ物や飲み物、おもちゃなどを配ったり、被災者が混乱しないように待ち時間や、必要な書類、他にどんな支援があるのかなどをご案内しました。

派遣される前は、私自身が日本人でハワイ大学の出身ということもあり、日本人や日系人のお役に立てるのではと思って志願したのですが、実際には日本語が必要だったケースは一件しかなく、タガログ語とスペイン語が必要になる場面が多かったです。英語を話さない被災者も多く、特にタガログ語は赤十字のスタッフでも話せる人がいなかったので、理想的ではありませんが、家族が通訳するような場面もありました。今回はナショナルオペレーションだったので、アメリカ全土からボランティアが集められましたが、赤十字のボランティアは白人の退職後の方が多いため、文化的なミスマッチが多く見られました。メンタルヘルスのチームも、私がいた間は、私以外は全員白人でした。ハワイの文化がわかっていて、見た目が日本人なため、被災者の方も、言葉があまり伝わらなくても、私と話をしようと努力してくださる方が多くいらっしゃいました。普段はホテルで清掃などのお仕事をなさっている方も多かったせいか、みなさんとても礼儀正しく、我慢強いような印象を受けました。

お話の内容は、今必要なものや支援の情報などから始まることが多いのですが、しばらく話すうちに、災害時の話をしてくださったり、災害前の話やご家族の話など、ハワイでよく言われるトークストーリーという長話になっていくことが多かったです。みなさん、全て失ってしまったこと、今後支援も減っていく中で先行きが不安なことなどを話してくださいました。学校がなかなか開かなくて、子供達への支援が行き届かないこともよく話題になりました。街を歩いていても、スーパーマーケットなどに、連絡の取れない家族や友人、行方不明のペットの写真などが貼ってあり、胸が痛くなりました。そんな中でも、赤十字の職員を見つけると、感謝の言葉を言ってくださる方も多く、ご自分たちが大変な中で声をかけてくださることに、涙が出そうになりました。

仏教団体で、世界中で災害支援をおこなっている団体が、被災者に支援金を配るイベントがあり、赤十字からメンタルヘルスと、スピリチュアルの専門家の応援要請がありました。文化的な問題のある可能性を踏まえ、私がイベントに参加することになりました。団体のみなさんが暖かく迎えてくださり、団体所属の医師の方の隣のテーブルをあてがっていただいたのですが、赤十字の支援金配布の時と同様、待っている方と話したり、面接官の方の隣でお話を聞いたり、団体の方に声をかけていただいて、メンタルヘルスの専門家と話をしたいという方とお話をさせていただいたりしました。

翌日はまた支援金の配布の現場に戻る予定だったのですが、スタッフシェルターで隣に寝ていた、メンタルヘルスチームのメンバーが前日にコロナにかかってしまって隔離されていると聞いて、私も念の為検査したところ、陽性になってしまいました。あと1日でサンフランシスコに帰る予定だったのですが、5日間延長してホテルに隔離になってしまいました。

守秘義務があるので、被災者との会話の内容など、具体的なことがお話しできないのが残念ですが、神戸や東北の地震と同様、マウイも長いスパンでの復興支援が必要になります。赤十字社からはつい最近まで、マウイ派遣の依頼が来ていました。できることなら、みなさんにも募金やマウイ旅行など、長い目で見た支援を続けていただけたら幸いです。


参考:ハワイ・マウイ島山火事 | Wikipedia
   米国赤十字ボランティア活動 | CBSニュース(英語)